味噌醤油仕込人顛末記 ----- 萩市の味噌醤油蔵から日々のあれこれを発信
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2009/09/03//Thu.
日本醤油の源流を探る旅  その一

はじめに

湯浅町を知ったのは、約10年前あるデパートの地下食品売り場で『三ツ星醤油』を購入してからだった。
その頃はまだ家業の味噌醤油屋を継いでいなかったが、食文化漫画『美味んぼ』の連載の初期、醤油を取り上げた話があり、
興味津々で読んだことを覚えている。自分が醤油屋をするということはまだ頭の隅っこにあるぐらいだったと思う。
数年後『三ツ星醤油』をたまたま見かけ、これは多分前読んだ『美味しんぼ』でモデルになった醤油蔵の製品ではないかと直感した。
『美味しんぼ』の原作者の本を読んで調べてみるとそのとうりだった。
和歌山県湯浅町、日本の醤油がはじまったところ。
醤油って千葉県から始まったんだと思っていた。湯浅町、いつか行ってみたい。そう思うようになった。

2002年 10月 23日
出発

29歳のとき味噌醤油屋を継いで現在丸8年がたったころ・・・。
たまたま友人が大阪方面に車で行くというので、「俺、和歌山に行きたいところがあるんよね」。
というと「じゃあ、乗せていってやるよ」。仕事の方も丁度手が空いていたので話はとんとん拍子に進み、
次の日に出発。結局湯浅町までわざわざ連れていってもらった。ありがたいことである。
湯浅町の前に『三ツ星醤油』のある御坊市に行きたいということで、夜半過ぎ御坊市に到着。車の中で寝た。

war_is_over_2.jpg
大きな河の河口付近の道沿いで車泊

war_is_over_3.jpg 
車は昔のランサー


 

2002年 10月 24日 御坊市〜湯浅町
堀河屋野村さん

7時ごろ目醒めてまずは御坊駅を探した。
駅にはすんなりと着いたが、目指すところは『三ツ星醤油』を造られておられる“堀河屋野村さん”。

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    御坊駅


近所の食堂の人に場所を教えてもらったのだが、これがなかなかわからなくて道行く人に何人か聞いてやっとたどり着いた。
昔ながらの街並みの中にひっそりとした佇まいのお店で、朝早く行きすぎたのか声をかけてもだれもでてこられなかったので奥に入ると、醤油を絞る布を皆さんで干しておられるところだった。
事務員さんに話を聞くと、社長さんは東京の方へ出張されているとのこと。事前連絡なし、許可なしの失礼極まりないことにもかかわらずご丁寧に対応された事務員さん、ありがとうございます。
『三ツ星醤油』と『もろみ』を購入。社長さんがご不在だったのは残念だったが、思い入れがあった醤油屋さんにこれて満足。

Horikawaya_nomura






一枚だけ撮らせていただきました。すごく感じのいい店構えです


丸新本家さん

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    湯浅駅



昼前に湯浅駅前の旅館に到着。
すごく趣のある老舗宿で、ここにして幸運だったと思った。
旅館の旦那さんに聞くとやはり湯浅は醤油屋さんがたくさんあるとのこと。
タクシーを呼んでもらい、湯浅見学。いたるところに”醤油”、”金山時味噌”の看板やお店。本当に醤油屋さんだらけといった風情であった。さすが本場。運転手さんに醤油屋さんで工場見学させてくれそうなところはないですかと聞き、それならあそこが良いでしょうと『丸新本家』さんで降ろしてもらった。

Machinami_2_2






 湯浅の町並み
   

Machinami_3 





  喫茶店の外

事前の連絡なしにもかかわらず、ありがたいことに専務さんじきじきに対応していただいた。聞くところによると、元々味噌と金山時味噌だけを造っていたのだが去年から新たに醤油の仕込を始めたとのこと。醤油蔵を見学。新しく清潔な工場。仕込み桶は木桶で、各地から中古を取り寄せたとの事。

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丸新本家専務さん 仕込み桶の前で


醤油の消費量が日に日に減っているこの時代、新たに醤油の醸造を始めるとは、勇気、気合を感じた。味噌蔵のほうも見学させていただきとても勉強になった。
お店のほうは観光客用の立派な店構えで、醤油や怪山寺味噌が名産である湯浅ならでは、と思った。黒大豆で造った醤油など珍しいものがあったので2種類購入。通信販売は一日何件ぐらいかと聞くと20件ぐらいとの事。さすが、うちとは数量が違うと驚きを隠せない私だった。
連絡なしにもかかわらず、親切に対応してくださった『丸新本家』の皆様、ありがとうございました。

前から気になっていた『角長』(かどちょう)さんに電話連絡。工場見学はしていないということだが、湯浅醤油職人蔵という施設がすぐそばにあり案内してくれるとのこと。昼1時に伺うことになった。



角長さん

またタクシーを拾い『角長』さんの近くで降ろしてもらった。やはりテレビなどで何度も取り上げられている醤油屋さんだけあって、運転手さんも良く知っておられた。
約束の時間までかなり時間があったので近くで見つけた大衆食堂でカツ丼を食べる。このカツ丼がすごく甘くてびっくりした。このあたりはこういう味付けなのだろうか・・・。山口県もかなり甘い味付けなのだがこれには驚いた。

Machinami_1  




奥に見えるのが角長さんです


12時半ごろ時間つぶしに店のあたりをうろうろしていると店の中から
「さっき電話された方ですか?」と声。
若奥さんらしき方が声を掛けてくださり、醤油博物館があるので1時まで見学なさってはどうでしょうかとのこと。店の向かいに大きな蔵があり、昔の醤油醸造に使われた道具や商品のポスター、陶器で出来た醤油容器など貴重な物が展示されてあった。特に炒った小麦を割砕する大きな機械には驚いた。直径2m以上の水車のようなものの周りにギザギザが付いており、それに人間が乗って足で踏み動力にするという大掛かりな機械で、そのアイデアには感嘆した。ちょうどペットの鼠が遊ぶ円形の玩具のような物で、もしかするとこの道具からヒントを得たのかもしれないと思った。写真を撮りたかったが、撮影は禁止との事。聞いてみるとご主人さんが自力で全国各地から収集したということで、ここまで一箇所に昔の道具が集まっているところはないだろう。

そうこうするうち1時になり職人蔵を案内される方が来られた。『角長』さんの事務員さんだそうで見学者が来ると案内されるそうだ。職人蔵は立派な2階建ての建物で、建設費用は町の補助もあったのですか?と聞くと、行政からの交付金などなく『角長』さん自力で作られたということ。しかも入場無料で運営なさっておられる。尊敬である。
中は歴史を物語る写真や貴重な道具でいっぱいで、2階には小さいホールもあった。そこは学校の社会見学で小学生や中学生が見学にきたときに使うそうだ。案内役の事務員さんはもう2千人以上も案内されたそうで、さすが慣れていらっしゃる。笑顔いっぱいに湯浅醤油の歴史を簡潔丁寧に教えて頂いた。
湯浅醤油の起源は1228年、紀伊由良 興国寺の覚心(かくしん)というお坊さんがが中国(宋)から径山寺(きんざんじ)味噌の醸造法を習って日本に持ち帰り、湯浅でこの地に広めたことに始まるという。径山寺味噌の上澄み液がとても美味しいという事で、その上澄み液が醤油の起源ではないかともされているということだ。江戸時代から近代、湯浅では多いときは200軒あまりの醤油蔵が建ち並び、隆盛を極めたという。主に江戸方面に船で醤油を運んでいたとのこと。しかし最近は20数軒に減り(この辺記憶が あいまいです)麹を造って仕込みをする、本来の意味での醸造をしている醤油屋は湯浅町でも2軒に減ったという。こんな小さな町で醤油屋が現在でも20数件というのも驚きだが、昔は200軒以上とは・・・。

店に行き、若奥さんにあいさつ。数年前湯浅醤油ブームといわれるほどの醤油産地ではあるが、少しずつ醤油屋をたたむ店があるのが寂しいとのこと。どこも同じなんだなと思った。しかし現在『角長』さんでは会長さん、社長さん、最近継がれた息子さんがいるということで活気に溢れている店だと感じた。
萩市も昔は20軒以上あったと聞いたことがあるが今は7軒である。がんばって醤油を造り続けていきましょうと励まされた。

焼き物の容器に入った”湯浅たまり”を購入。宿へ徒歩で戻る。
『角長』のみなさま、ありがとうございました。

明日は上に書いた、覚心の寺、興国寺に行く予定。
宿の入り口横が食堂になっており、そこで食事を取り早々と寝る。

その二につづく

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